茶馬古道の難所・二郎山を越えてカンゼ・チベット族自治州へ
西蔵門戸(チベットへの入り口)と呼ばれる雅安の街を出て二郎山へ向かいます。
二郎山は四川からチベットへ続く茶馬古道の中でも一番の難所と呼ばれた険しい山で、当時は隧道(トンネル)などもなく、多くの方が命を落とした場所でもあるそうです。
まずは成都からチベットまで続く川蔵公路、G318国道を走ります。岩山のような険しい山の間を抜けて走ります。日本ではあまり見かけないような傾斜のきつい山々で、最初はお茶畑もちらほらと見えていたものも標高が上がるにつれて段々と姿を消していきます。
途中で見かけた茶馬古道の碑です。すっかりイタズラ書きがされていますが、このあたりではかつてお茶を背負って茶馬古道を歩いた茶葉運搬人の方が今でも住んでいらっしゃると、以前に四川省雅安茶厂(茶廠)の所長に伺ったことがあります。
この石碑のあたりから段々と舗装も怪しくなってきて、車の相互通行ができないような状態になってきます。かつて茶馬古道として交易が盛んだったことと同じように、今はこの川蔵公路がチベット地域と四川地域をつなぐ交易路として人々に利用されているようです。
細い山道である上にがけ崩れや落石も多く、補修工事が頻繁に行われています。さらに荷物を運搬するトラックやそれらの工事用車両なども沢山通行していることもあってか、片側通行になることもしばしば。
何十分も全く動かないような渋滞を何度も繰り返して何とか前に進みます。渋滞となると付近の農家の人々が飲み物や収穫した果物やトウモロコシを売りに出てきます。川蔵公路を通る人々も慣れているようで、それらの果物を買ったりしてゆっくりしている人や日光浴をはじめる人、中にはトランプをして遊びはじめる人もいるような状態です。
予定を大幅にオーバーして二郎山を超える二郎山隧道に到着しました。
この二郎山隧道は人民解放軍がチベット侵攻(共産党の表現では開放ですが・・・)を行うために作ったトンネルで、茶馬古道でも一番の難所とされる二郎山を超えて侵攻を行うためには必ずここにトンネルを作らなくてはならなかった要所でもありました。険しいこの地にトンネルを作ることは非常に過酷だったようで、解放軍にも多くの犠牲が出たと聞きます。
チベットでは蔵茶が生活に欠かせないものでした。解放軍はまず雅安側にある蔵茶の茶廠を支配下におき、このトンネルを作り、チベット侵攻を行います。このチベット侵攻時、毛沢東は「チベットを侵攻するのには武器を少なめ、お茶を沢山持って行きなさい」と指示したと言われています。それほどチベットの人々の生活に蔵茶は大事なものでした。
解放軍のチベット侵攻が終わり、この二郎山隧道が出来てからは人が二郎山を越える必要も無くなります。荷馬車で蔵茶をチベットまで運ぶようになります。朝鮮戦争後はアメリカ軍が朝鮮半島に残した軍用トラックを使って運ばれるようになりました。今も当時の写真は四川省雅安茶廠に残されていて、チベットへ蔵茶が運ばれる量がこの二郎山隧道が出来たこと、輸送手段の変化によって飛躍的に増加したことが記録されていました。(二郎山隧道の一般通行が可能になったのは2001年のようです)
二郎山隧道を抜けるとカンゼ・チベット族自治州(甘孜蔵族自治州)です。
二郎山隧道を抜けたところには軍による検問があり、チベット高原のチベット自治区のように入境許可書が必要ないとはいえ、ツアー参加ではない外国人の通行は禁止される可能性があります。そのため現地のドライバーと中国語が達者な弊店代表が対応し、中国語があまり達者ではないWEB担当の私と上海から同行されていたお客様は後部座席で寝たふりをして通過しました・・・
検問を抜けるとそこはチベットでした。
驚くように素晴らしい青い空と光がとても美しく、目に見える山の緑も今まで見てきた景色とは全く違う鮮やかな色彩を放っていました。二郎山はチベットとの境界と言われますが、それを実感できるような、本当に素晴らしい青空です。
先日ご紹介を開始した台湾茶ですが、大変ご好評をいただき、本当にどうもありがとうございます。
台湾・老欉佛手は発売後1日で完売してしまい、量の確保ができず申し訳ありませんでした。
他にもまだまだ素晴らしい台湾茶が到着しておりますので、是非お試しください!
凍頂烏龍茶の2012年冬茶がようやく届きました。
台湾の凍頂烏龍茶の産地、南投県のあたりは気温がなかなか下がらず、11月上旬で標高の高い杉林渓がようやく冬茶の摘み取りに入れたという、かなり厳しい状況でした。11月中旬以降になって、それよりも標高の低い凍頂茶区でも冬茶の摘み取りが始まったという状況でしたが、鈴茶堂がお世話になっている作り手が納得する程の気温、茶樹の状態ではなく、一時は冬茶の製造を断念することも考えていた程でした。12月に入ってから、ようやく量は少ないものの、納得できる品質の冬茶を作ることができました。他の作り手がとっくに冬茶の摘み取りを終えるころまで充分に待ってから作られた今回の冬茶は数が少ないものの非常に良い出来だそうです。
この作り手の凍頂烏龍茶は伝統的に醗酵が強く、火入れもしっかり行うため、実質的な賞味期限がないどころか、年月を経た方がより柔らかく美味しくなります。この冬茶も本当に美味しいのは半年後、6月以降です。
ご紹介するのには早いかとも悩んだのですが、非常にバランスよく、美味しい冬茶ですので、その後熟成の変化もお楽しみいただけることと思い、ご紹介させていただきます。
既にリピートされている方も多い凍頂烏龍茶ですが、春茶とはまた違った味わいがあります。台湾では1年中春茶しか飲まない人や、冬茶しか飲まない人もいるほど味わいや香りが異なります。どうぞ好みの味を見つけてください。
今シーズンは冬茶の量が少なく、その分価格も上昇していますが、作り手のご好意により春茶と同じ価格でご紹介できることになりました。この機会に最上質の冬茶をお試しください。
同じ作り手による老茶も入荷しております。
伝統凍頂烏龍茶 7年老茶
伝統凍頂烏龍茶 11年老茶
冬茶などと同じ作り手の蘭亭序と名づけられた凍頂烏龍茶です。これ以上ないほどに素晴らしい香りと味わいを持つお茶ということから、書の最高傑作と呼ばれる王羲之の蘭亭序の名前が付けられました。
この蘭亭序は毎年作ることができません。鮮葉の状態や製茶時の気温や天気などの要因が合わさって出来る、まさに天からの授かりものです。当然ながら生産量も極めて少なく、今回は特別に作り手から譲っていただくことができました。
甘く複雑で深い旨みと、香ばしく言葉では言い表せないような上品で華やかな花果香があり、まるで上質なお酒のようなお茶です。茶樹から作られた「お茶」とは思えないほどで、むしろ葡萄などの果物から作られた飲み物と言われた方が納得できるような感じを受けます。
こんな凄い烏龍茶があったのかと驚かれると思います。私たちも試飲して本当に驚いたほどに美味しいお茶です。
この香檳烏龍茶は6月中旬に完全手摘みで摘み取られた茶葉を使用し、ロットの中でも最高品質のものです。落ち着きを出すために後熟成を行い、現在はこれ以上ないほどに最高の香り、味わいになっています。
東方美人の多くは新竹、苗栗などで作られる青心大有種のものが主流です。これらは果実香の強い、味わいのしっかりした火入れが強い特徴を持ちます。苦味が出やすく、中には苦味がそのまま出ているものや、多くは複数のロットや様々な品種から作られた東方美人をブレンドします。一方、石錠で作られる東方美人は青心烏龍種から作られ、軽やかな香りと味わいで、まさにシャンパンのようです。香檳烏龍という名前は石錠で作られた東方美人に与えられたと言われています。
その石錠郷の中でもこれ以上のものはないほどに上質な東方美人です。もしお手元に東方美人があれば是非比べていただきたいと思うほどに丁寧に美味しく作られています。
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